2020年12月21日月曜日

何気ない日常で

 


小さな親切心。

私が何気ない日常の中でよく目にする場所は、電車の中が多い気がします。
先日も東京の混雑した電車の中で、割と粗暴な外見の人が大声で「おばちゃん、ここ座りなよ!」
と、車内に響き渡るような大声で年配の女性に声をかけて席をゆずっている光景を目にしました。

またこれも同じ東京の電車の中でのことですが、到着した駅のホームと電車の間が少し空いていて、ベビーカーをおして渡ろうとした若い女性を、そばにいた中年の女性がとっさに手を出して手伝っていたいました。お子さんを育てられた経験もあるのかもしてませんが、それがとても自然に行われていてちょっと感動してしまいました。

「無意識に・自然に親切心が起きる場所」としてこのような空間がたくさんあればいいなと思いました。

私も人にもっと親切に、またそれを自然にふるまえるぐらい当然のこととして身につけられるよう行動していかなければと改めて思う出来事でした。


2020年12月4日金曜日

とある先日のエピソード

 ある日、玄関を開けるとドアの側に生まれたばかりであろう子猫が横たわっていた。

生まれて間もないであろうその猫は、ひどく痩せ細っていて肩で呼吸をしており、とても苦しそうだった。

全身ノミに食われていて、毛並みは悪く、目もうつろだった。

久しぶりに家族が揃った休日、テーマパークに行く予定だったが、予定を変更し、猫を車に乗せ動物病院に向かった。

診察の結果、獣医から危険な状態であることを聞かされた。

高額な治療費がかかることも。

私たち家族は、皆動物が大好きで、だからこそこれまで動物を飼うことを避けてきた。

けれど、その時に家族皆、この子猫を家族として迎えいれる覚悟ができていた。

子猫の治療をスタッフに託し回復を祈った。

けれど、子猫はその日の夕方治療の甲斐なく私たちの目の前で息を引き取った。

たった数時間だったけれど、私たちは子猫の家族だった。

ちび太という名前もつけていた。

とてつもなく悲しくて涙が止まらなかった。

子猫とお別れして数日後、獣医の先生から一通の手紙が届いた。

そこには、私たち家族の心情をいたわるお便りと、ちび太の写真が添えてあった。

写真で眠るその子猫は、あのみすぼらしいちび太ではなく、とても美しい子猫。

でも紛れもなくあのちび太だった。

側には美しい花と、高級そうなキャットフード。

ちび太の一生は飢えに苦しみ、身体の痒みなど、苦しいことしかなかったかもしれない。

でも、最期の最期で素晴らしいスタッフの方々に巡り会うことができ、天国に送り出していただくことができた。

私たち家族の胸の痛みも緩和された。

動物病院ではよくあることかもしれない、小さな小さな親切心かもしれない。

けれど、その優しさでちび太も私たちも本当に救われた。

涙が止まらなかった。

でも、これはあのちび太を失った時の涙ではなく感謝の涙だった。