先日、猫の用品を買いに行ったとき、店員さんがお会計時にふと、
「この首輪、子猫用なのですが大丈夫でしょうか」と声をかけられました。
なぜ大丈夫でしょうか、と声をかけられたのかと言うと実はそのとき、
一番小さい首輪と、老猫用のサプリを購入しようとしていたからです。
もしかしたら新しく家族になった子猫がいるかもしれない前提もあるのですが、
その人はとっさに老猫サプリと小さい首輪で同じ猫のかもしれない、と連想して声をかけてくださったみたいです。
自分のほうはその首輪を手にしたときにサイズを確認していたので、大丈夫だな、と考えていたので、「ありがとうございます、大丈夫ですよ」と返事をしました。
買い物のラインナップを見て、同一の猫かもしれないととっさに判断してくれた店員さんの、とっさの親切な一言は私にとってはかなり嬉しい出来事でした。
それは、お客様をきちんと見ているからこその、気配りの心を示してくれたと感じられたからでした。
同じ日に、今度はその買い物の帰りがけにコンビニに寄ってドリンクを買いました。
するとレジの店員さんが手に取るなり、
「このドリンク、いま補充したばかりで温い状態なのですが、大丈夫ですか」
と声をかけてくれました。
これから電車に乗って帰るので、一度冷蔵庫で冷やそうと思ったため、特段気にせず手に取っていたのですが、これもやはりすぐ飲むのではないだろうか、という心配の上での声掛けでした。
この方にも、「ありがとうございます、すぐは飲まないので大丈夫です」と思わずこちらも慌てて、すいません、などと付け加えながらお礼を言いました。
この上記のお二人が示してくれた気遣い、というのも一種の小さな親切です。
そして、一日に二度もこんな気遣いを頂いた私は、正直単純なのでしょうがすごくうれしかったです。
小さな親切は一つでも、人の心をじんわりと温めてくれる効果があると思います。
また、こういう小さな親切を一つ一ついただく度に、大きな喜びに変わっていく。
それを今回、二つの小さな親切で実感しました。